沈堕の滝(豊後大野市大野町)に行きました。

 

こんにちは(^-^) ! 

 

先週末に大野町の沈堕(ちんだ)の滝を見に行きました。大野町は当院のある三重町の隣町で、車で15分程度です。ちょうどその前に大雨が降った関係で、いつもより水量が多く、『ゴゴゴゴ、、、』と滝水が落ちる音が遠くから響いてとても迫力がありました。写真の雄滝は幅100メートル、高さ20メートルもあります。沈堕の滝は、室町時代に来豊した雪舟が描いた『鎮田瀑図(1476年)』でも有名ですね。ちょうど豊後大野市が主催するジオパーク事業に関連した説明会があり、講師のお許しを得て見学ツアー客と一緒に説明を聞くことができました。

 

写真(上)の手前の建物の跡の外壁や基礎柱は、明治42年(1909)に豊後電気鉄道株式会社によって作られた水力発電所(沈堕発電所)の跡です。ここで作った電気を別府市や大分市に送電して、九州で初めて敷設された市電を運用していたそうです。

 

沈堕の滝をまだご覧になっておられない方は、ぜひお越しください 。水力発電所の建設によって大正から昭和時代は滝の水量が少なくなったそうですが、平成8年から11年にかけて堰堤(えんてい。沈堕滝の手前の堰(せき)のこと。)と滝の岩盤が補強、整備されてからは、雪舟の絵を彷彿とさせる迫力の水量と轟音が評判です。特にこれから夏は涼しいですよ(^^)/。


※ご参考までに大正時代の沈堕の滝(左:雄滝、右端:雌滝)と、発電所(中央)の絵葉書(所収)と雪舟の絵(沈堕の滝に設置された豊後大野市の観光案内板より撮影)を紹介します。「続きを読む」をクリックしてください。今の写真と見比べてみると興味深いです。

 

                                                                          (文:森本)

明治時代の沈堕の滝(左:雄滝、右端:雌滝)と、発電所(中央)の絵葉書(所収)
明治時代の沈堕の滝(左:雄滝、右端:雌滝)と、発電所(中央)の絵葉書(所収)

 

沈堕の滝にあった観光案内板(©豊後大野市)の雪舟作『鎮田瀑図』。原図は、関東大震災の際に焼失しており、この絵も狩野常信の模写(京都国立博物館所蔵)と思われます。大正時代の写真のように雄滝と雌滝のコントラストがいいですね!
沈堕の滝にあった観光案内板(©豊後大野市)の雪舟作『鎮田瀑図』。原図は、関東大震災の際に焼失しており、この絵も狩野常信の模写(京都国立博物館所蔵)と思われます。大正時代の写真のように雄滝と雌滝のコントラストがいいですね!