薬と歴史人物 その2『夏目漱石とタカヂアスターゼ』

『タカヂアスターゼ®原末』の薬剤添付文書と写真  ©第一三共株式会社
『タカヂアスターゼ®原末』の薬剤添付文書と写真 ©第一三共株式会社

 

こんにちは。今回は現在も病院で処方される医療用医薬品の消化酵素剤として使用されている、タカヂアスターゼを紹介します。

 

タカヂアスターゼは、夏目漱石(1867-1916)の小説『吾輩は猫である(1905年・明治38年)』に登場する薬です。吾輩である猫が、飼い主の苦沙弥(クシャミ)先生の日常を観察して、『彼(苦沙弥先生)は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。』と書かれています。苦沙弥先生のモデルは作者の漱石自身で、昨年放送されたNHKドラマ『夏目漱石の妻』でも、長谷川博己さん演じる漱石が、薬(おそらくタカヂアスターゼ)を服用するシーンが頻繁に出てきました。

 

タカヂアスターゼは、開発者の高峰譲吉に因んで名付けられた消化酵素剤です。母の実家が醸造元だった高峰は、日本の醸造技術をもとに米麹を使用して主にデンプン(炭水化物のうち、多糖類のこと)を消化する酵素『タカヂアスターゼ』を、1895年(明治28年)に米国で開発しました。タカヂアスターゼの主成分はアミラーゼで、他にプロテアーゼ、リパーゼが含まれます。タカヂアスターゼは当時既にあった麦芽由来の消化酵素剤よりも薬効が約20倍もあった画期的な発明で、高峰はこの成功をもとに更なる医薬品開発を行います(次回の「薬と歴史人物」でご紹介する予定です)。

 

美食家で大食家でもあった漱石はタカヂアスターゼを重宝しますが、後に胃潰瘍を患い、43歳になった1910年(明治43年)に長与胃腸病院に入院以来、軽快と増悪を繰り返しながら1916年(大正5年)に49歳で亡くなります。胃潰瘍を治療するには胃酸分泌を抑えればよいとして、歴史的には迷走神経切除などの外科手術法や、抗コリン薬などの制酸薬が開発されましたが効果は低く、1972年(昭和47年)に英国で開発されたヒスタミン(H2)受容体拮抗薬によって初めて大きな治療効果が得られるようになります。1979年(昭和54年)にはスウェーデンで画期的なプロトンポンプ阻害薬が開発されて、胃潰瘍の治療成績は更に向上しました。さらに胃潰瘍の原因の一つとしてヘリバクター・ピロリ菌が1983年(昭和58年)に発見されて以来、今では除菌療法も確立され、胃潰瘍の治療は漱石の時代からみると隔世の感があります。

 

現在、病院で処方される医療用医薬品としてのジアスターゼは、健胃消化剤に含まれる主成分の一つになっています。食欲不振・胃部不快感・胃もたれなどの症状に対して、当院で処方している『ピーマーゲン®配合散 (あゆみ製薬株式会社)』には、ジアスターゼをはじめ、ケイ酸アルミニウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸カルシウム、生薬(ケイヒ・ウイキョウ・ショウキョウ・センブリ・サンショウ)が加えられています。

 

なお、タカヂアスターゼは一般用医薬品として薬局でも販売されています(新タカヂア錠® 第一三共ヘルスケア)。これは幅広いpH領域(pH3~8の範囲)で、糖質やタンパク質の消化力が安定しているタカヂアスターゼN1が主成分であり、これから忘年会シーズンに入る時期にお薦めです。

 

参考サイト:

青空文庫 夏目漱石『吾輩は猫である』

NHK公式ホームページ 『夏目漱石の妻』

 

参考文献:

タカヂアスターゼ®原末 薬剤添付文書  第一三共株式会社

タカヂア錠® 薬剤添付文書  第一三共ヘルスケア株式会社

ピーマーゲン®配合散 薬剤添付文書  あゆみ製薬株式会社

 

後藤直良「作家と薬」薬事日報社 2000年

勝男金弥「譲吉は行く波のりこえて―タカジアスターゼを発見した化学者・高峰譲吉」北國出版社 2007年

千田好志「開発の経緯① H2受容体拮抗薬」薬のサイエンス 第3号 p.2-6 2000年

片岡祐介「開発の経緯➁プロトンポンプ阻害薬」薬のサイエンス 第3号 p.7-12 2000年

 

 

                    (文:森本)