元零戦パイロットから伺ったお話

大分航空隊所属の零式練習機(零戦を二人乗りに改造して、練習生と教官が乗れるようにしたもの。尾翼に書かれている『オタ』は大分航空隊所属であることを表しています。なお、当時の海軍練習機は目立つように橙黄色(とうおうしょく:赤味のある黄色)に塗装されていることがほとんどだったそうです。)
大分航空隊所属の零式練習機(零戦を二人乗りに改造して、練習生と教官が乗れるようにしたもの。尾翼に書かれている『オタ』は大分航空隊所属であることを表しています。なお、当時の海軍練習機は目立つように橙黄色(とうおうしょく:赤味のある黄色)に塗装されていることがほとんどだったそうです。)

 

こんにちは。私が大学を卒業して社会人になった20年前は、戦前の大分県に海軍航空隊が3か所(大分、佐伯、宇佐)もあったせいか、当時パイロットや整備員だった方が多く御存命で、当時の貴重なお話をお聞きすることができました。

 

あるとき、私が歴史好きだと知ったAさんが零戦パイロットだった頃の思い出話を語ってくれました。Aさんはパイロットの腕を認められて、写真のように二人乗りの零式練習機(尾翼の「オタ」は大分航空隊所属を示しています)に乗って、若手のパイロットや飛行学生を教えていたそうです。時には尾翼の下に、吹き流し(標的)を引っ掛けて飛び、それを目がけて練習生に弾を打たせるという『標的曳航機』としての役目もあったそうです。その訓練は危険も伴い、Aさんは標的を打ち損じた味方から誤射されて、足に怪我をしたこともあるとのことでした。

 

終戦から72年経った今では耳にすることが少なくなった貴重なお話であり、戦時中の御話を直接お伺いできたことは有難く、感謝しています。

 

                     (文:森本)