満員御礼『戦国最強の親子を大河ドラマにする準備会 in 豊後大野市』前編~なぜ今、道雪・紹運・宗茂なのか~

大分合同新聞に掲載された記事と、会場の様子(写真撮影:阿南徹さん)
大分合同新聞に掲載された記事と、会場の様子(写真撮影:阿南徹さん)

 

こんにちは(^-^) ! 

 

先日のブログでご案内しました、『戦国最強の親子(道雪・紹運・宗茂)を大河ドラマにする準備会 in 豊後大野市』を、6月27日(土)に豊後大野市役所中央公民館視聴覚室で開催しました。当日の大分合同新聞の朝刊に大きく取り上げられたこともあり、用意していた資料や椅子が足りなくなって、急きょ補充するなど、盛況のうちに終了することができました。真にありがとうございました。o(_ _)o 

この準備会は、三重町の郷土史家で元三重中学校長の芦刈政治先生(87歳)、元大野町長の佐伯和光先生(69歳)を中心に、森本(46歳)が事務局を務めています。

 

会の最初に『なぜ今、道雪・紹運・宗茂なのか?』と題して、私より会の立ち上げの主旨を説明しました。現在の日本では少子高齢化が叫ばれ、地方の過疎を含めて懸念されています。テレビや新聞では、少ない現役世代で多くの高齢者を支えなければいけない、などと連日のように報道していますが、逆に考えれば多くの年長者が若い世代を大切に育てていける時代でもあると思います。

 

豊臣秀吉から『鎮西一(九州一)、西国一、日本一』と絶賛された宗茂(※ある若い人は「そうしげる?」と読んでいましたが、「むねしげ」です(^^;))は、道雪と紹運の二人の父(それぞれ養父と実父)に育て上げられました。有名な「名将言行録」では、少人数で大軍を破る武勇や人柄が敵からも尊敬された三人の親子が多くの頁を割いて紹介されています。『なぜそんなに強く、みんなから慕われているのか?」と、道雪にぜひ会いたいと手紙を送った武田信玄をはじめ、三代将軍の徳川家光や幕閣、外様大名に至るまで当時から強い関心を持たれていました。彼らはいずれも豊後出身で、特に道雪は57歳まで鎧ケ岳城主として豊後大野の領内をはじめ、府内の大友館や柞原八幡宮(大分市)での逸話(道雪の生母が子宝を授かることを祈念した)など多くの事績が残っているにも関わらず、大分県でもあまり知られていないことを残念に思っています。先日、高校の後輩でテレビ局で活躍している20代~30代のアナウンサーに「戸次道雪や立花宗茂って知ってる?」と質問したら、「日本史には弱いんです~」という反応でした(^^;)。三人の親子は学校の日本史には登場しませんが、たとえば紹運の有名な逸話(婚約者が天然痘に罹患して命は取りとめたものの容姿が変わってしまったために、彼女の実家が遠慮して破談にしたいと言われた時にも約束を守り、仲睦まじい家庭を築いた)を若い人たちが知る機会があれば教育にも役立つと思います。ちなみに紹運は生涯側室を持たず、宗茂とその弟の父となります。

 

大分県では『大友宗麟を広く知ってもらおう』という事業が盛んに行われていますが、実は戦前から同様の活動が続いていて、大分駅前の銅像をはじめとして地元では既に有名であり、何度も映画やテレビに取り上げられてきた(映画「国東物語」(1985年)、NHK「大友宗麟~心の王国を求めて~ 2004年)にも関わらず、大河ドラマ「独眼竜政宗」の伊達政宗や、「風林火山」の武田信玄のように、日本全国でブームになるには至っておりません。

 

私たちの活動で取り上げる『道雪・紹運・宗茂』の三人の親子は、これまで映画やテレビの主人公になったことは一度もありませんが、もし大河ドラマや映画などに取り上げられて、大友宗麟から徳川家光までの時代を通して、彼らの「智勇節義(三浦梅園が道雪を評した言葉)」をもった爽やかな生き方が紹介されれば、「独眼竜政宗」のようにブームとなり、その前半の舞台である豊後(大分県)や筑後(福岡県)は仙台や長野県上田市(真田氏で有名)のように活性化されることを確信しております(^^)。。。

 

この会は、大河ドラマや映画実現までの『準備』として、若者によく知られていない三人の親子の物語をまとめて伝えると同時に、これまで場所が不詳だった道雪生誕の地(鎧ヶ岳城のふもとの「藪河原館(複数の古文書を解読した芦刈先生の御研究により、現在の小字の城浦にあり、明治37年の銅板画にも記されている「柳台城」と同じであることが判明します)」を特定して、その地に観光案内板を建てたいという目標があります。実は2年前に大分合同新聞社文化部に依頼されて、戸次道雪生誕五百年について寄稿したことをきっかけに、高校の同級生で豊後高田市役所に勤めている飯沼憲一さんに案内されて、紹運・宗茂が生まれた吉弘館(筧城)の地(豊後高田市立戴星学園都甲中学校の周辺)を散策しました。そのときは案内板がなかったのですが、現在では豊後高田市役所の担当者をはじめとした関係者の尽力により、「吉弘統幸、高橋紹運、立花宗茂生誕の地」という立派な案内板が設置されています。豊後高田市は永松博文市長のリーダーシップにより『昭和の町』として活況を呈していることや、飯沼さんをはじめとする介護行政が国から高く評価されてNHKの全国放送でも紹介されていますが、歴史顕彰についても大変積極的に行われていることは素晴らしいと思います。豊後大野市でも、橋本祐輔市長が私の郷土史講演に御来場してくださったり、そのきっかけを作って下さった三重町の玉田輝義 県会議員がこの会の立ち上げから陰に日向に応援してくださっていることを大変感謝しております。御二人に重ねて御礼申し上げます。(市長の部屋 6月24日ページ参照)

 

次に、佐伯和光先生(元 大野町長)に、長年に亘って戸次道雪の顕彰を行い、道雪ゆかりの地の整備(若宮神社、常忠寺)をはじめとして、道雪を主人公とした舞台の開催、柳河の筑後立花会との交流など幅広く活動されたお話をしていただきました。

 

                     (文:森本)