なんでも医のつぶやき⑦ 『普通に生活することの偉大さ 』

当院前の道路の坂を上った三重中学付近からみた風景です。左の国旗がある建物が豊後大野警察署で、遠くに冠雪している久住山が見えます。
当院前の道路の坂を上った三重中学付近からみた風景です。左の国旗がある建物が豊後大野警察署で、遠くに冠雪している久住山が見えます。


 

こんにちは!(^-^) 

 

人気番組『半沢直樹』で有名な俳優の堺雅人さん(お隣の宮崎県出身)は随筆家としても知られていて、高校時代の恩師(若山牧水研究者)との対談集『ぼく、牧水!~歌人に学ぶ「まろび」の美学~ 角川oneテーマ21新書 2010年』も興味深く読みました。別のインタビューですが、堺さんの『学生時代はとても生意気で、先生が授業で偉人のことを話しているときに、どうして先生たちは偉くないんだろうという思いにかられていました』という趣旨の発言を聞いて、私も小学校で同じような経験をしたことを思い出しました。

 

私の父の名前は偉人(すぐと)と言います。昔は小学校のクラスの名簿に両親の名前も書かれていたので、同級生から『卓哉のお父さんって、偉人じゃないのに偉人だよね(笑)』とからかわれたことがありました。正直、私もそう思っていたので(^^;)、あまり深く考えたことはなかったのですが、自分が社会人になってしばらくして、退職した父が勤めていた職場の元上司に呼ばれてお話する機会がありました。そのときに、『君のお父さんには事務の仕事を長年担当してもらったけれど、お金にもお酒にも女性などの交遊関係でも全く問題はなかった。これは私からの最大の賛辞です。』と言われて、息子として誇らしかったことを覚えています。あくまで想像ですが、もしかしたら祖父は『普通の生活ができる人こそ偉大である』という思いを込めて父の名前をつけたのかもしれません。。。

 

また、若い頃は目に見える業績に心を奪われがちですが、『してはいけないことをしない』ということも大切であり、大学などでも昇進を決める際に私生活や職場で問題がなかったかどうかについては、職階が上になるほど重要になってきます。そのことを学校で教えられる機会は案外ないようなので、私が指導医になってからは研修医に伝えるようにしていました。今も医学講義を担当している地元の専門学校などで話しています。ただ最近の10代~20代の学生は、親に反発ばかりしていた私たち40代(中学時は『積み木くずし世代』→社会人新卒時は『新人類世代』→現在では『半沢直樹世代』と言われているそうですが^^;)と違ってとても素直で、授業の最初に自己紹介してもらうとき、「尊敬する人は?」と聞くと、ちょっとはにかみながら『両親です』と答えてくれる人が少なくないことに新鮮な感銘を受けています。

 

私たちの世代ももっと頑張らないと、、、ですね!

 

                           (文:森本)