大分のタイムカメラ⑦ 大分県の佐伯市は「さいき」か「さえき(サヘキ)」か?

写真上:戦前の佐伯市街の絵葉書の英文解説に『SAEKI』と書かれています。写真中:佐伯海軍航空隊の水上飛行機の尾翼に『サヘ(サヘキの略)』の文字が見えます。写真下:佐伯航空隊の零式水上偵察機11型モデル(©アシェットコレクションジャパン) 。いずれも著者所収。
写真上:戦前の佐伯市街の絵葉書の英文解説に『SAEKI』と書かれています。写真中:佐伯海軍航空隊の水上飛行機の尾翼に『サヘ(サヘキの略)』の文字が見えます。写真下:佐伯航空隊の零式水上偵察機11型モデル(©アシェットコレクションジャパン) 。いずれも著者所収。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!(^-^) 

 

私は大分県出身ですが、恥ずかしながらつい最近まで佐伯市の地名の読み方は「さえき」と思っていました。今の正式な読み方は『さいき』で、当院のある三重町に程近い佐伯市から来る救急車にもSAIKI-CITY FIRE DEPARTMENT(佐伯市消防署)と書かれています。先日、佐伯方面から来院した消防車の英文ロゴを見て長年の勘違いに気がついた次第でした。恥ずかしい~(^^;)

 

ところで明治生まれだった祖父は臼杵に接する大分市の吉野出身で、警察官として県内各地で勤務していたのですが、「さえき」と発音していたと記憶しています。改めて戦前の絵葉書を見るとSAEKI という英語で綴られています(写真上)。また、戦前の佐伯の女島(めじま)にあった佐伯海軍航空隊の水上飛行機の尾翼にも所属基地の名称を意味する「サヘ(キ)」と書かれていました(写真中・下)。

 

大分県立図書館の郷土情報室に問い合わせたところ、佐伯市の地名は古代から中世に領主だった佐伯氏に由来するそうで、もともと「さえき(サヘキ)」と言われていたことは間違いないそうです。それがなぜ『さいき』という読み方に変わったかについては、先日当院に来院された佐伯市の観光ガイドさんから、「広島県佐伯(さえき)郡(※現在は広島市佐伯区)と区別するために変更されたのでしょう」と教えていただきました。大分でも古代から千年以上にわたって受け継がれてきた読み方を、他県と区別するために変更されるのは心外な気もしますが(^^;)、実に興味深いエピソードですね。佐伯の読み方の変更につきまして、詳しい経緯を御存じの方がおられたらぜひ教えてください。お問い合わせメール 

 

                        (文:森本)

(補遺)2015年12月22日追記

佐伯の読み方については、『太宰管内志』豊後之部 海部郡編に、「佐伯は佐倍支と訓むべし」と書かれており、大分県立図書館の司書さんが調べてくれたように豊後では少なくとも奈良時代から「さえき」と読まれていたことは間違いないようです。ただ同じ本の中に、豊後州 撤一雞(サイキ)と16世紀の中国の史書に書かれていたことが紹介されています。戦前もかなりの割合で『さえき』と呼ばれていたことは間違いないようですが、大正5年(1916年)7月に佐伯町議会が表記を「さえき」から「さいき」に変更したと佐伯市史に記載されています。古来からの読み方である「さえき」から訛った「さいき」の読み方が佐伯町である程度増えたため、「さいき」を採用しようとする動きだったのでしょう。ただ「さいき」をローマ字読みにすると「SAIKI」となり英語がネイティブの外国人は「サイーキ」と読んでしまったりするので不都合も多いと思うのですが、大正5年の佐伯町議会から徐々にさえき→さいきの読み方へと一般にも浸透していき、今では一部の高齢者を除く若年~中高年世代は「さいき」が一般的な読み方となっています。